イエスは裸にされ、辱めを受けるために来られました。それは、僕たちが服を着れるようになるためだったのです。十字架上の死という事実は、イエスの「地獄の底から私はあなたを愛している」という声になって響きます。その時あなたは、新しいアイデンティティーに生き始めるのです。
僕らは、神の臨在が必要なのに、一方で神から離れて好きなように生きたいという願いを持っています。が、その希望通り神から離されるというのは、一番恐ろしい神の罰なのです。それはイエスが十字架で経験されたことでした。イエスは、「わが神、わが神…」と叫ばれたとき、本来僕たちに起こって当然のことを、僕らに代わって経験されたのです。
イエス・キリストは「いい家も、悪い家もない。全てがフラットで、どこから来たかではなく、大事なのはどこへ行くか、今、この時間以降、どこに向かっているのかだけだ」とはっきり宣言しておられます。
僕たち教会家族は、血のつながった家族より親密な関係です。そして互いの人生のもっと多くの時間をそこに費やす必要があります。それが、僕らが変わること、共に親に似ること、つまりキリストらしさを共有する条件なのです。