律法の目的は5つあり、1つ目は「私たちを神の愛とする」こと。愛ゆえに民を救い出された神は、その民を至宝とし、溺愛したいから、もっと私に倣ってほしいと言うのです。律法の2つ目の目的は「聖なる国民(くにたみ)とする」ことで、彼らの権力、お金、セックスに関する在り方は、当時ではありえないほど「平等」に大きく舵を切った内容でした。
そして3つ目の目的が「祭司の王国とする」こと。教会ではなぜか人々が仲良くし、愛し合い、お金の取り扱いもリーズナブル。そんな我々の姿を見て、外の人たちが、自分の会社で使う時間やそこで用いる力に福音の影響を受ける。神を紹介し、世にそのような新しい流れを作るのが祭司の集団(教会、イスラエル)の役割なのです。また4つ目は「あなたの心の働きを教える」こと。すべてのdisorderの源は、律法の第一戒「ほかに神を持ってはならない」を犯していることによるのだと、律法は我々に気づかせるのです。
神が我々に律法を与えた5つ目の目的は「イエスの血潮に我々を駆り立てる」こと。当時の契約の調印式は、血を振りかけることによって、約束を破った場合は自分の血が流れるという最悪のケースを演じ、そのあと宴席を持ったのです。その1500年後イエスは「これは私の契約の血だ」と語り、宴席の直後の十字架で、我々の受けるべき呪いを引き受けられました。このイエスの十字架こそが、我々が神に受け入れられる唯一のよりどころなのです。