イエスの激動とわが不動
使徒4:23-35

使徒たちは当局に脅された時、「みことばを大胆に語らせてください」と祈り、決して、富や、自由や、愛や、家族や、命が脅かされないようにとは祈らなかった。世界はもともともろいものばかり。だから世界が自分を揺るがさないようにとは祈らず、逆に、何にも脅かされることのない者にしてくださいと、彼らは勇気と大胆さを祈り求めたのです。

これこそ永遠!と思って来たものが、いかにもろいかを僕たちは学んできました。全ての名前、文明、家族は揺らぐのです。その時の使徒たちの祈りは「私は状況を無視します」、つまり彼らは、沈まぬ太陽があることを知っていたし、彼らは、その祈りを通して世界を揺るがすだけの力を手に入れました。だから僕たちも、彼らの祈りを見て、祈りの方向の大転換をする必要があるのです。

神なきお金はいつか死に、それだけでなく予想外の悪さもしでかします。でもここに、誰にも奪われることのない永続性のある富があり、誰にも奪われることのない命があるのです。聖霊の力によって、そのことが現実となっていくのがクリスチャン。これが彼らの大胆さの理由だったし、これこそが、生ける神と関係を持つクリスチャンと、たんなる宗教家の違いなのです。

あなたが今、不安でいっぱいなら、それはあなたが神を見ておらず、神を交わっていないということ。復活のイエスは「あなたが揺さぶられないために、私は徹底的に動かされた。あなたがそうならないために、私は粉々に揺さぶられた」と言われます。イエスがどれだけ揺さぶられたかを見ることがイコール、問題の本質を見ること。そしてこのイエスがいる限り、あなたを揺さぶる者は、もはやないということが分かるのです。