試練における支え
(三橋与志哉先生)
マタイ14:22-33
イエスは弟子たちを強いて舟に乗せられました。が、その舟が嵐に遭ったのです。なぜ?と思います。それも、元漁師の弟子たちにさえ手に負えないほどの猛烈な嵐でした。舟は制御不能となり、彼らの自信も吹っ飛びました。私たちは、たとえ …
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イエスは弟子たちを強いて舟に乗せられました。が、その舟が嵐に遭ったのです。なぜ?と思います。それも、元漁師の弟子たちにさえ手に負えないほどの猛烈な嵐でした。舟は制御不能となり、彼らの自信も吹っ飛びました。私たちは、たとえ …
「わたしは羊のためにいのちを捨てます」と言われたこのイエスのことばを、私たちはどれだけ自分へのことばとして受け取っているでしょう。私たちクリスチャンは、誰かのお世話をするとき、その人の中にイエスを見ます。これは素晴らしい …
イエスは門。この門を通らずに羊小屋に入る者はすべて、偽牧者であり、盗人だとイエスは言われます。羊に仕えるのが牧者であり、偽牧者は羊を食い物にし、最後は散らす者たちだと。ところで僕たちはどちらでしょう。真のサーバントリーダ …
「すべてはよかった」と。なおかつすべてが人間中心。これが世界の始まりの図でした。が、現実はどうでしょう。世界のあちこちが壊れているとしか思えないような状態です。コロナ、アフガン、気候変動、周りの人間模様・・・。それは、イ …
盲人は礼拝堂を追い出された後イエスと出会い、最後は「主よ、あなたを信じます」と言ってイエスを礼拝します。この盲人は目が開かれてから、何もいいものは見て来ませんでした。見たのはせいぜい彼を取り囲む野次馬、言い逃れをする両親 …
癒された盲人は、神学的な知識は何も持っておらず、イエスについて問い詰められても、知らぬことばかりでした。が、「ただ一つのことはわかっています。私は盲目であったのに、今は見えるということです」ときっぱり答えることができまし …
僕たちは伝道するとき自分の導かれた道筋をイメージして伝道します。救いの証しもします。でもそれが伝わらないこともしばしば。それは皆さんが、「互いに人を自分より優れたものと思いなさい」(ピリピ2:3)とある通り、僕たちより優 …
信仰とは、まず主が既に与えてくださっているものを喜ぶこと。そして次に、主がこれから為そうとしておられることによって喜んでいくことです。僕らはともすると、喜びを自分で作り上げようとします。バベルの塔のように自分の力と努力で …
「はじめ」は神のみが存在し、一切の被造物は存在しませんでした。その神が、ご自身の御力のみで、又私たちを愛する目的で、私たちを無から造られました。その存在の基である神を知るとき、私たちは初めて自分の存在の意味を知ることがで …
悪魔は人殺しで嘘つきです。悪魔は蛇を使ってアダムとエバをだましましたが、このアダムの神への裏切りにより全人類が死んだ、このことが悪魔が本当の人殺しであることの証拠です。また、悪魔に壊された「悪魔の子」は、その存在そのもの …