よみがえりであるイエス
ヨハネ11:17-29

イエスの出発が遅れたため、到着した時にはラザロは死んで4日も経っていました。イエスがそこに居なかったためにラザロは死んだと思ったマルタは「あなたがおられたらラザロは死ななかっただろうに」と言いました。本当にそうでしょうか …

死で終わらない死
ヨハネ11:1-16

キルケゴールは、絶望こそが、人間にとって最も恐るべき「死に至る病」だと言いました。そしてこの絶望の出方には2種類あって、一つは自分の弱さにムカつきながら生きるという症状。もう一つが自分のやり方にこだわり、猛烈な自己主張に …

天にまします我らの父よ
マタイ6:9-13

祈りの習慣はありますか。それは、「お願いリスト」を空に打ち上げるような祈りになっていませんか。そうではなく、イエスキリストは、まず神が何を求めておられるかを知るために神のそばに行く祈りをせよ、神とともに過ごしたいという思 …

キリストの声を聞き分けよう
ヨハネ10:22-30

僕たちの人生には、あの事さえなかったらということがたくさんあります。失敗、挫折、そして人と比べてどう考えても自分に足りないもの、欠点、欠陥、適性不足・・・。神は愛、全知全能と言われても、自分に関してはそれが感じられず、「 …

天と地と人間の創造
創世記1:26-31

神は僕たち人間を「あなた」と呼び、人格的交流の対象とされました。それが「神のかたち」の意味するところです。が、あなたは神を、モノあつかいをしていませんか。良い道具を捜すかのように、良い事だけをしてくれる神を捜すことを「偶 …

試練における支え
(三橋与志哉先生)
マタイ14:22-33

イエスは弟子たちを強いて舟に乗せられました。が、その舟が嵐に遭ったのです。なぜ?と思います。それも、元漁師の弟子たちにさえ手に負えないほどの猛烈な嵐でした。舟は制御不能となり、彼らの自信も吹っ飛びました。私たちは、たとえ …

イエスはよい羊飼い
ヨハネ10:7-21

「わたしは羊のためにいのちを捨てます」と言われたこのイエスのことばを、私たちはどれだけ自分へのことばとして受け取っているでしょう。私たちクリスチャンは、誰かのお世話をするとき、その人の中にイエスを見ます。これは素晴らしい …

だれの声を聞いていますか
ヨハネ10:1-9

イエスは門。この門を通らずに羊小屋に入る者はすべて、偽牧者であり、盗人だとイエスは言われます。羊に仕えるのが牧者であり、偽牧者は羊を食い物にし、最後は散らす者たちだと。ところで僕たちはどちらでしょう。真のサーバントリーダ …

光あれ、すると光があった
創世記1:1-10

「すべてはよかった」と。なおかつすべてが人間中心。これが世界の始まりの図でした。が、現実はどうでしょう。世界のあちこちが壊れているとしか思えないような状態です。コロナ、アフガン、気候変動、周りの人間模様・・・。それは、イ …

私たちも主イエスを見る
ヨハネ9:35-41

盲人は礼拝堂を追い出された後イエスと出会い、最後は「主よ、あなたを信じます」と言ってイエスを礼拝します。この盲人は目が開かれてから、何もいいものは見て来ませんでした。見たのはせいぜい彼を取り囲む野次馬、言い逃れをする両親 …