Bからの復活そして主の本命へ
ヨハネ20:24-31、申命記9:7
トマスは、他の弟子たちが自分のいない間に復活のイエスと出会ったと聞き、不愉快でした。そんなことは信じたくない思い半分、でもそれ以上に、本当に現れたのならなぜ自分が外されたのか。自分はそんな大切な時に呼んでもらえないほどの …
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トマスは、他の弟子たちが自分のいない間に復活のイエスと出会ったと聞き、不愉快でした。そんなことは信じたくない思い半分、でもそれ以上に、本当に現れたのならなぜ自分が外されたのか。自分はそんな大切な時に呼んでもらえないほどの …
・「自分はできる」と自分に言い聞かせるなどのポジティブ志向はよく論じられるが、自己暗示はむなしい。罪びとが罪びとである自分に何を語っても、それはただむなしい。 ・日本の政治家は小学生でもわかる嘘をついてえらそうにしている …
マリアはイエスの復活を期待して墓に来たわけではなかった。マリアは死んだイエスを探していた。だから生きたイエスに出会ってもピンとこなかったのだ。僕らはこのように、本当の神を探さず、自分が動かせる神、知的優越感を持たせてくれ …
罪とは、自己中心と自己陶酔。自分が自分の救世主になるには、徹底的なワルになるか、徹底した善良さに徹するかの2通り。前者はわかりやすい例だが、後者は「こんなええ人間を神が祝福しないはずがない」という独善性からくる悪だ。新し …
イエスは裸にされ、辱めを受けるために来られました。それは、僕たちが服を着れるようになるためだったのです。十字架上の死という事実は、イエスの「地獄の底から私はあなたを愛している」という声になって響きます。その時あなたは、新 …
僕らは日常生活で、砂漠を経験します。砂漠は全ての水が枯渇している場で、僕らはそういう場に至って初めてまことの水源である神とお会いすることができるのです。でもその前に僕らは、自分のキャリアだったり、家族だったり、預金通帳だ …
あなたを支援するために神のしもべは神から送られて来ます。それは次にあなたが、神のしもべとして誰かを支援するためなのです。同じ思いの神のしもべたちはいます。その集まりが教会です。 イエス・キリストは傷ついた葦を折らない方。 …
ファラオは、元奴隷のイスラエル人を取り返すために戦車600両で追いかけてきました。そして「俺たちに仕えろ、さもなくば殺す」と叫びました。実は、僕たちが「自分はこのために生きる」と頑張っている、「これ」も、一歩間違うとそれ …
過ぎ越しの祭りは、ユダヤ教徒にとって、私たちの神はこういう神ですということを表す一番大切なお祭りでした。それと同様に聖餐式は、キリスト教徒にとって、私たちの神を表す中心的な儀式です。それは「無力な者の血まみれの死」を表す …
神の命令を守らない人に対して、神は何の罰も用意しておられず、そこには自然の成り行きのみがあります。神の命令が自然であれば、それを守らない人の迎える結果も全く自然なのです。神は我々に「わたしより大切なものを作るな」と命じま …