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礼拝メッセージ

世界で初めのクリスマス
マタイ1:18-2:12、ルカ2:6-20

皆さんはヨセフの立場で処女降誕をとらえたことがあるでしょうか。おなかの子は神の子だと夢の中で天使に告げられても、それだけで100%納得がいくでしょうか。「俺はただのお人よしで、世界一の大バカ者かもしれん。」そんな疑問を打ち消しながら世間の荒波に耐える・・・これがヨセフに課せられた務めでした。 誰にも助けを求められない。だから逃げるように駆け込んだ馬小屋。そんな世界一孤独な、極限状態で生まれたのが主イエスでした。でも生まれたばかりのイエスを腕の中に抱き上げた時、その子はヨセフの何かを救った・・・ヨセフの目からは涙がこぼれ落ちたんじゃないでしょうか。 僕らは「助けて」と、声すら上げられない孤独の中にいる時があります。でも、そんな居場所のない僕らの心の中に生まれてくださるのが主イエスであり、このイエスをお迎えするのがクリスマスなのです。主のご降誕を心から感謝したいと思います。 神のモチベーションはあわれみです。本来、天を超えて高いところにおられるはずのお方が、その高みから身を投げ出して、降りて来られた。本来は「静」なるお方が「動」となられた。これが神の愛です。愛は自己保存のための武装をせず、傷つけられることを恐れないのです。 幼子イエスを礼拝し、「静」のなかに「動」を見た博士たちは、別の道を通って帰りました。僕らは今日、何を決断すべきでしょうか。何を変えて頂くべきでしょうか。どこに踏み出して、神のこのダイナミックな愛にお応えしていくべきでしょうか。

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礼拝メッセージ

恵みを受ける人
ルカ1:26-38

僕らは人生の中で、色々な選択をします。でも、自分の人生を振り返ると、その根幹部分が、努力の結果や熟慮の末に選択したことによって決まるのではなく、「出会い」によって決まってきたことを発見します。つまり神のご計画、摂理が、人生の大枠、いや全てを決めると言って過言ではありません。 マリアは、突然現れた天使ガブリエルから、「おめでとう、恵まれた方」と言われ、「あなたは神の子を産みます」と一方的に言い渡されます。実際それは試練の始まりでした。が、それを「恵み」と受け取り、「お言葉通りになりますように」と答えた従順さに、僕らは信仰者のあるべき生きざまを見ます。 転勤、解雇等々、降ってわいた出来事に僕らは抵抗します。また人生の選択に震えおののきます。でも神は僕らを愛しておられ、その恵みは無限大。だから信頼して恵みを待ち、感謝してその恵みを受ければいいのです。戸惑いの人生か、それとも神の用意された料理をおいしいと堪能できる人生か、その分かれ道がここにあります。 アドベントは、ラテン語のアドベンタス(到来)から来た言葉で、大事件の到来をハラハラドキドキ待つこと。そこからアドベンチャーという言葉が出てきました。たとえ恵みの全体像が見えなくても、そこに主と共に踏み出すグレート・アドベンチャーがあるのです。その思いをもって、「お言葉通りにこの身になりますように」とお応えしたいものです。