ヤコブとペテロは、両方ともヘロデによって投獄され、ヤコブはすぐに切り殺されますが、ペテロの場合はそのあと、至れり尽くせりの脱出劇が展開します。この違いは何なのか。ヤコブが捕まった時も、教会がヤコブのために祈らなかったはずはないからです。これは神の御心によるのです。
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神の御心に生きる人生
「都市ではキリスト教は死ぬ」という人がいます。が、キリスト教が二千年前に、ローマという大都市で大いなる発展を遂げたというのは歴史的な事実です。発展の理由の一つ目は、都市に住む奔放な人でないと、キリスト教の福音の新しさに耐えられなかったこと。その結果ローマ帝国においては人口の56%、都市住民についてはほぼ100%が信仰を持ちました。
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洗礼を受け、教会の会員となったとしても、その人の礼拝が変わらない限り、その人は変わりません。賛美とは、究極に何が大事かを認めた時に出てくるもので、回心は、神を心から賛美し、礼拝した時に起こります。たとえ道徳的になり、宗教的になったとしても、神の愛が自分の現実になっていない人は、回心したとは言えず、その本質は変わりません。
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もともと不幸で落ち着きのない男だったパウロが、あの日を境に不動の人間に変えられたわけですが、そのことが起こった第一の理由が、「自分の思い通りにならない神」との出会いでした。それまで彼の信じて来た神は、パウロ好みの神。しかしそれは現実の神とは違うのだという気づきがイエスとの遭遇で与えられ、その突破口となったのです。こういう神なら信じたいとあなたが思う神は、あなたを変えることは決してできません。
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キリスト教の改心は事実に基づいたもので、具体的には、神が人となり死んで蘇ったという事実に基づきます。実際蘇りのイエスに出会ったという人が当時数え切れないほどいましたが、この外的な証拠をもとに考えるのがその第一歩です。
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パウロの伝道戦略は、徹頭徹尾「都市中心」、だからこそ「この地方には私の働くべき場所は残っていない」と断言できたのです。都市は新しい情報にオープンで、人の移動による情報の拡散も期待できる・・・それゆえ都市に福音を植え付ければ、時間と共に国全体に影響を及ぼせるとの確かなイメージが、パウロにはありました。
「寄留の民」はクリスチャンの霊的状態であり、このことをリアルに認識させるために、神は時にクリスチャンを、あえて物理的に散らすのです。迫害による離散は、その意味で神の采配でした。離散することで彼らの古い根は断ち切られ、新しい根は天国に向かいました。そのことがどこにも支配されない自由さを彼らに与えたのです。
ピリポが「汚れた土地」サマリアに入り、「枯れ木」と中傷される宦官との出会いに導かれたのはなぜか。それは「私の契約を守る宦官には神殿を与える」(イザヤ56:3-5)という、神の驚きの福音を実現するためでした。福音は、優越感に浸っている人には自分はけがれていることを知らせ、劣等感に苦しむ人には神の愛を知らせるのです。
福音によって変えられたクリスチャンが心に望むのは、ただ生き残ることではなく、町全体が喜びに満たされること。あなたは、東京が幸せな場所になることを切望するほどに、優越感や劣等感から脱却できているでしょうか。これが散らされた先でピリポの見た景色でした。もしあなたも同じ景色を見るなら、町には大きな喜びがあふれるでしょう。
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キリスト教会が迫害されるだけの立場から、たった300年でローマ帝国の公認宗教に上り詰めたのは、1世紀の信徒たちが、みな祭司の精神にあふれていたからだと言われています。祭司の精神とは①貧しい人に心を配り、②深く同情的で、③驚くほど大胆で、④人々のために祈ることですが、あなたはどうでしょうか。
クリスチャンが人口の1%以下のこの日本において、クリスチャンであるあなたは選ばれた祭司です。昔の祭司は美しかったですが、あなたは神の前で自分が美しいことを知っているでしょうか。あなたは神の前に出て行くし、あなたは何も恐れなくていいのです。
もしあなたが自分を振り返って、大胆さや、本来持つべき同情心に問題があるとしたら、又祭司の持つ強さ、やさしさ、柔軟さがないとしたら、それはイエスがどのような方で、あなたが神に取ってどれほど美しく、輝いた存在であるかを見つめていないからです。
イエスの小さな笑顔は、世のすべての喜びを吹き飛ばします。その時あなたもステファノのように、「どんな喜びであっても、ネガティブな判決であっても、世がくれたり、人がくれたりするものを、今の私は必要としていない。世よ、お前が私を支配する力は何もない」と叫ぶことが出来るのではないでしょうか。
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イエスの十字架は英雄的ではありませんでしたが、それゆえに完全に英雄的でした。僕らは弱く臆病者ですが、この僕らの弱さを、イエスは完全に受け止めて下さったのです。十字架上で強くなれたのに、あえて弱くなった。そしてイエスの弱さが僕らの強さになり、僕らの弱さがイエスに向かう。この交換、入れ替えこそが、まさに究極のヒーローの姿なのです。
僕らは聖餐で、イエスのからだであるパンを食します。イエスは徹底的に弱くなり、僕らはイエスをかみ砕き、またイエスは注ぎ出される。食べ物があなたを強くするためにはまず細かく砕かれる必要がありましが、それと同じく、イエスの「弱さ」しか見えないこの姿こそが、あなたを英雄にする力なのです。
ヒーローになりたければ、自分が臆病者であり、罪びとであることを進んで認めなければなりません。英雄になるために僕らは神に設計され造られてきましたが、本当にそうなるためには、最初の英雄的な行為、つまり自分が罪びとであることを自認する必要があります。悔い改めを恐れず、積極的にイエスに倣う人生を選び続けたいと思います。
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紀元1世紀のクリスチャンが周りに衝撃を与えたのは、彼らのお金の使い方が並外れた寛容さを示したことに、第一の理由があります。次に、彼らの語るイエスキリストの話に他の共同体の人々が耳を傾けたのは、語る人たちの生活に裏付けられた言葉だったからです。それゆえに、最初は迫害されていたキリストの共同体が、最後は帝国を席捲するリーダシップを発揮したのです。
僕らはどうでしょう。僕らのお金の使い方は、僕らの本当に神とするものがどこにあるかを示します。もし自分の救いがイエスにあると理解するなら、「過激な、思い切ったやり方で献げたい。それによって人々の人生を変えたい。どうせお金は自分のものではないのだから」と思うでしょう。しかし、もしあなたの救いが他にものにあるなら、間違いなくあなたはお金にしがみつくし、そのお金は、あなたが神とするものに向かいます。
まずイエスを見ることです。イエスを見るとは、僕の場合、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という十字架上のイエスの言葉を黙想し、打たれたイエスは僕の代わりだったと知ることです。イエスは父の愛を失い、僕は父の愛を得ました。イエスが捨てられ、僕は今、父の御腕に抱いて頂いています。そしてその父の愛が、僕らを寛大にしてくれるのです。聖霊によって、この神の現実を求めてほしいと思います。
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使徒たちは当局に脅された時、「みことばを大胆に語らせてください」と祈り、決して、富や、自由や、愛や、家族や、命が脅かされないようにとは祈らなかった。世界はもともともろいものばかり。だから世界が自分を揺るがさないようにとは祈らず、逆に、何にも脅かされることのない者にしてくださいと、彼らは勇気と大胆さを祈り求めたのです。
これこそ永遠!と思って来たものが、いかにもろいかを僕たちは学んできました。全ての名前、文明、家族は揺らぐのです。その時の使徒たちの祈りは「私は状況を無視します」、つまり彼らは、沈まぬ太陽があることを知っていたし、彼らは、その祈りを通して世界を揺るがすだけの力を手に入れました。だから僕たちも、彼らの祈りを見て、祈りの方向の大転換をする必要があるのです。
神なきお金はいつか死に、それだけでなく予想外の悪さもしでかします。でもここに、誰にも奪われることのない永続性のある富があり、誰にも奪われることのない命があるのです。聖霊の力によって、そのことが現実となっていくのがクリスチャン。これが彼らの大胆さの理由だったし、これこそが、生ける神と関係を持つクリスチャンと、たんなる宗教家の違いなのです。
あなたが今、不安でいっぱいなら、それはあなたが神を見ておらず、神を交わっていないということ。復活のイエスは「あなたが揺さぶられないために、私は徹底的に動かされた。あなたがそうならないために、私は粉々に揺さぶられた」と言われます。イエスがどれだけ揺さぶられたかを見ることがイコール、問題の本質を見ること。そしてこのイエスがいる限り、あなたを揺さぶる者は、もはやないということが分かるのです。
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