福音とは神が絶対的に公正な方であり、と同時に絶対的に愛の方だということです。十字架上のイエスにこそ、この御顔にこそ、その絶対的な公正さと愛が満ち満ちておられます。イエスは十字架上で、神から、宇宙的に無視されました。神のみ顔を失ったのです。なぜか。それは私たちがそれを持つためです。それゆえに私たちは今それを持つことが出来るのです。
愛だけの宗教があります。公正さ、きよさだけの宗教もあります。が、そのどちらにも、栄光はない。感動も変容も何もない。イエス以外に栄光はないのです。イエスの御顔、イエスのなされたことを見て、あなたはついに神の栄光を得たのです。待ちに待った、そして捜し求めてきた栄光を。それを見つめる時あなたは崇拝します。
神の栄光を見つめ、それを礼拝する時、あなたも栄光ある者に変えられる。この過激さ、それが福音の過激さなのです。あなたは自分がこれまで思ってきた以上に邪悪ですが、イエスのおかげで、これまで望んで来た以上に愛され、受け入れられている。この福音を見つめましょう。