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センターチャーチ

「都市に対するビジョン」についてのおさらい #1(本文 P135〜)


【AAA】聖書の中の都市の2つのイメージ: 多くのクリスチャンが都市に対して無関心だったり、敵意を持っていたりする。都市は信仰や道徳を削り取るネ ガティブな力を持つと考える人も、都市について夢物語を語る人もいるが、聖書の考えは違う。それは、敵意で も夢物語でもなく、都市は良い方にも悪い方にも人の性質を拡大する拡大鏡のような役目を果たし、二元的な性 質をもつというのだ。聖書の都市観は微妙だ。神の栄光を表すためにこの積極的な面にスポットを当てたかと思 えば、神への反逆の媒体とも描く。都市は贖いの歴史をつづるうえで、梃子(てこ)の様な重要な役割を果たす と言えよう。ティムケラーは、都市には神賛美につながる「約束」と、人を傲慢にする「影」の両面があり、そ の緊張関係を都市から学ぶべきであると考える。聖書に始まった二面性は今も続いているのである。

考えよう⇒あなたの都市概念は、プラス(善)、マイナス(悪)、ニュートラル(どちらでもない)のいずれですか? 

【BBB】高密度の生活が3つの特徴を生み出した

1.安全と安定

初期の都市には壁があり、そこには安全と安定があった。都市の基本的な機能に、敵対者(軍隊、略奪者、復 讐者、獣など)からの保護があった。また都市は、申命記 28:52 に「あなたが頼みとする高い堅固な城壁」「あなたの神、主が与えられた町囲み」とあるように、「自信」「信頼」の象徴でもあった (箴言 21:22)。この安定 性ゆえに、法も、秩序も都市において発展した。都市の門には長老がすわり、法により人々をさばいた(逆に都 市の外では、争いは剣により解決した)。神はイスラエル人に、「のがれの町」の建設を命じ、過去の殺人に対 し、そこで審きを申し出るシステムを作った。今も、経済的、政治的な圧迫を受けた人が、自分の故郷を離れ て、良い生活を求めて都市に流入する。そして新参者の移民たちは、他国の都市に自国に近い環境を作り「リトル……」を形成することで、新しい土地でのルールや生き方をバランスよく学ぶようになった。またすべ ての人口統計学上の「少数者」たちも、自分の仲間が多い「街中」においては、人目を惹くことも、奇妙に見 られることもない。都市が今も成長し続ける理由は、大多数の人が、都市は住むのに安全なところだと思って いるからである。

2.多様性 

聖書も都市の多様性を謳う。これは安全と高密度の結果でもある。アンテオケの教会にはいろいろな人種がい た (使徒 13:1)。これは都市で福音が宣べ伝えられるときに起こる自然な現象だ。都市には多くの違うグループ が住むからだ。少数者でも安全を感じ得る場所だったため、都市は必然的に人種的・文化的に多様化するのだ。

3.生産性と創造性 

聖書は、都市が生産性と創造性においても優れていると言っている。芸術、建設、美術など、人の文化は都 市において発展した。創世記 4:21「(カインの建てた町において、カインの子孫の)ユバルは、竪琴と笛を奏 でるすべての者の先祖となった。」とあるように、人の文化は都市の建設とともに発展した。互いに近くに住む ため情報交換が便利となり、同じ業種の人が集まりやすく、そこから互いに刺激し、新しいものが生まれ、ま た広がる。多くの才能が集まれば、そこからさらに高い生産性が生まれ、それに対する需要も増す。現代の「集会」の目的は「関係づくり」だ。同業の専門知識を持つ、似たレベルの人たちが集まる場。それは一時的な「都 市」形成であり、これらの関係は全て最終的には、高い生産性と創造性に結びつく。

考えよう⇒あなたの都市に対する概念は、この時点で変化しましたか?それはどの部分ですか? 

【CCC】古代の都市 創世記の物語の中では、人が神の下で、文化の発展を通して創造の業に貢献する。都市生活は、エデンの園から 追い出された後の人類への罰という、そんな単純なものではない。かえって都市にはもともと、人間に対し、安 全と文化を高める能力が存在するのである。この「文化の座」は、神の栄光をもたらすために使われ (Iコリ 10:31)、又、同じく神と人に仕えるために用いられる (出エジプト31:3-5)。が、一方で自分の名をあげるため (創世記11:4)  にも。それは自分のプライドや、自己救済や、暴力や、虐待に行きつくのである。都市をダメにするのは、その 人口ではなく、そこにある神に反逆し、神以上に自分に頼る心だ。馬はネズミより役に立つが、狂った馬は狂っ たネズミより被害が大きいのと同じく、罪の下にある都市も、より大きな破壊力を持つ。創世記の物語を見る限り、都市の堕落や偶像崇拝の問題がいかに大きいかが分かる。が、これは都市でなく、人に原因がある。

【DDD】族長たちと都市この後も創世記は、不名誉なソドムとゴモラという都市の暗部に光を当てる。神は「下って行った」(創世記 18:21) とあるがこれはバベルの時と同じだ (11:5)。バベルは、後のバビロンの語源になった言葉で、「神に歯向かう都 市文化」の原型とされた。アブラハムの甥のロトは、町の生活を選ぶうえで重大なミスを犯したが、信仰のない コミュニティ―で都市生活を送るならどれほどの霊的な荒廃を家族にもたらすのかが、ロトの妻や娘たちの行い から伺い知ることができる。にもかかわらず、アブラハムは「神の都」を待ち望んだ。それゆえにその時すぐに 町に入ることを拒み、天幕生活をつづけたのだ (ヘブル 11:8-10)。都市が本質的に悪いものだとしたら、アブラ ハムの希望が、「堅い基礎を持つ都市」に在ったというのはおかしくなる。確かに都市が人間に自己拡大を望ま せ、それゆえに神の支配に歯向かう思いを起こさせることは理解できるが、神に仕えるという意味での都市の形 態は、人の生活を通して神のみこころを実現するのに大きな役割を果たすのだ。

考えよう⇒希望の堅い基礎 (ヘブル 11:10) や、神に仕えるための素材 (出エジプト 31:3-5) が、都市と、そこでの文化にあると知ったとき、あなたにどのような変化が起きますか? 

【EEE】イスラエルと都市 神はイスラエルの民に「のがれの町」の建設を命じた。なぜか。それは、都市においては田舎では不可能な「正しい裁判」が可能だったからだ。田舎では過失殺人が、際限のない暴力と報復の応酬になってしまっていたのだ。 安全と人口密度が、法学・法治の発展を促した。またそこでは長老が、それを聞いて判断した。神は「正義の確立」のために町の建設を命じたのだ。神殿はシオンの高台に高くそびえたが、この高い建物はバベルのように自 分たちの誇りや繁栄のためではなく、詩篇 48:2「シオンの山は大王の都。高嶺の麗しさは全地の喜び」とある通 り、「全地の喜び」だった。人や建設者の名誉でなく、神の名誉のための豊かな都市文化であり、この「神に仕え るための都市」が神の計画だった。

【FFF】ヨナと都市 「これほどの多くの人をあなたは惜しまないのか」(ヨナ 4:11) これは都市の大切さを説明する決定的な要素で あり、神の心からの議論だ。特に人は神のイメージであり、「神が気にされる都市の人々を私たちが無視できるの か、いやできるはずがない」という我々の応答が自然と導かれる。都市には、神のイメージでないところは一インチ四方もないのである。

【GGG】捕囚の民と大都市バビロン 

神はまずエレミヤを通して、「そこで減らずに増えよ」(エレミヤ 29:6) と捕囚の民に語った。「そのことで神 の民としてのアイデンティティーを保ち成長せよ」と。同時に「その大都市に落ち着き、その都市の生活にかか わり、家を築き、耕せ」と (29:5)。そして、我々を最も驚かせるのは、「都市に仕えよ。都市の平安を求め、そ の都市のために主に祈れ」(29:7) という命令である。バビロンで生活する間、その都市にゲットーを築いて自分 の種を増やすことに専念するのでなく、公の善に益するように働けと言われたのだ。これはすごいバランスの要 求である。創世記11章から始まって、黙示録に至るまで、バビロンは自己中心、プライド、暴力の上に成立し た文明の典型、究極の都市とされて来た。まさに神の町とは真逆の存在、にもかかわらず、神の民は、この都市 の最高の住民となるように召されたのだ。神は、ユダヤの流浪の民に向かって、都市を攻撃することも、軽蔑することも、都市から逃げることもさせず、逆にその平和を求め、都市を愛し、その中で成長して行けと命じた。 

町を愛し、町に仕えるというのは、愛やあわれみを示すことだけではない。それにより、神の民の手の力を強 くするのだ。そしてそれが後々、福音を世界に行きわたらせる力となる。捕囚の民の他者への影響力をトレーニ ングすることは、将来彼らが故郷に帰り、そこを回復し、次に歩みだす上で必要な霊的準備運動だったのだ。

考えよう⇒最高の住民となって伝播力を鍛えるために今都市に置かれている。仕えることで神の民の手の力が強くなり、それが新約の伝道に行かされる。この神の発想はあなたにどのような影響を与えますか。