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センターチャーチ

「福音の文脈化」についてのおさらい #3(本文 P128〜)

【AAA】性の商品化という問題 

商品を介した供給者と顧客の関係を「甲の関係」と呼び、従来からの歴史的な人間関係を「乙の関係」と呼ぶなら、「甲の関係」は良い商品が有利な条件で販売される間だけの関係であり、顧客にこの関係を維持する義務はない。しかし「乙の関係」は、そもそも良い条件をベースにした関係ではなく、 相手の良いところや関係そのものに焦点を当て、愛をコミットする関係なのだ。今、この甲の関係が乙の関係を凌駕しつつあり、人々は、家庭や絆というものを、もしそこに達成感がないなら、その関 係を抵抗なく切断することができる。「商品化」とは、社会の関係性自体が目減りし、経済価値に置 き換えられていくことを表す専門用語だ。 

ここにセックスが登場する。従来は配偶者のみが対象であり、結婚によって全生涯を預けることを約束し、他との自由な結合を放棄して、初めて体を預ける。この、人生のコミットなしのセックスは、 慢性的な寂しさと慣れに導く。セックスは本来、コミュニティーの中で人と人をつなぐものだった が、今や商品と化した。セックスは神がデザインしたと聖書にある。自己満足のためではなく、自分を捧げることで、人は共同体を形成していくのであり、これがキリスト教道徳だ。もし「共同体の中の良い文化」の、誰もが賛同すること(信仰A)の一つとして、このキリスト教道徳を示すことができたら、説得力を持つに違いない。

考えよう⇒ 今多くの人が共同体を求めますが、キリスト教道徳による「性道徳の改善」が(信仰A)として、その解決策になると思いますか? 

【BBB】人権問題 

西洋社会は、正義と人権に強い関心を持つ。同時に、神はなく、たまたま進化してここにいるだけであり、超自然も死後もない、と言い始めている。しかし「人権」と「神無き社会」は矛盾する。ドストエフスキーは、「もし神がいなかったら、何でもできる」と言う。進化の結果なら弱肉強食が当た り前であり、神なくば強い国が弱い国を圧迫してどこが悪いのか、強い種族が弱い種族を押さえつけるのは当然だとなる。若い人たちは正義に敏感だ。ゆえに「人権と正義とは神ある世界で初めて意味を成す」という点で推すことができる。 

A)「性」と「コミュニティー欲求」にせよ、B)「人権」にせよ、文化のフレームワークにチャレンジしたら、彼らは不安定になるので、「あなたの探しているものはキリストになかに見つけることができる」と再びバランスを取り、慰め「ハッピーエンディングはイエスにのみある」と、イエスにあるストーリーを再び語るのだ。 

【CCC】あがないの文法聖書にはいくつかの違ったあがないのモデルがあり、ティムケラーはそれを「あがないの文法」「あがない言語」と呼んでいる。どれにもキリストの救済の業が示されている。 

  1. 戦争文法・戦争言語:罪と死、それに打ち勝つイエス様
  2. 市場文法・市場言語:みのしろ金、刈り取り、負債
  3. 捕囚文法・捕囚言語:解放、帰郷
  4. 神殿文法・神殿言語:きよめ、神に近づく
  5. 法廷文法・法廷言語:審判、有罪、義 

これらのうち、何かに注目し、何かを無視することはできない。すべて聖書のインスピレーションを反映する文法・言語であり、全てが、イエスキリスト以外ではもたらすことのできない救いを表す。例えば ・圧制、虐待、憂鬱と戦う人や、奴隷状態からの解放を願う人は、1戦争文法、2市場文法から力を得る。 ・罪責や恥からの解放を願う人は、4神殿文法、5法廷文法から力を得る。 ・疎外感、根無し草状態、他からの拒絶で悩む人は、3捕囚文法に引き付けられる。 

ハートとなるのはこの5つに共通して流れている「イエスの身代わり」で、これが中心テーマだ。イエスは戦い、支払い、疎外され、犠牲を払い、私たちに変わって罰を受けられた。そして救いを成し遂げた。 私たちは何もしていない。だからこれらすべての中心部分に「イエスの身代わりの犠牲」がある。この「人を救うために自分のいのちを与えるストーリー」は、人をひきつけ、奮い立たせ、また衝撃を与える。 この「あがない」をいろんな文法で表現することが、「あなたの最大の問題を解決し、あなたの最大のの ぞみを成し遂げるのに、このイエスの身代わりの死がどれほど機能するか」を、多種多様な文化に伝える手段なのだ。

考えよう⇒自分に響く文法はどれで、そのもとにある恐れと悩みは何でしょう。

【DDD】まとめ今の世は、破壊、逆説、皮肉、フラストレーションがあふれている。人々はおとぎ話のようなエンディン グにあこがれている。これは長くて深い、人類の夢であり、皆が死もなく、全てをいやす永遠の愛の世界 を経験したいと思っている。福音は決してセンチメンタルな人生を描かず、逆に無宗教の世相批判よりよほど暗い視点を持つ。サタンがおり、悪霊集団が働く。我々は損なわれ、神の介入なしにはどうしようも ないと。しかし福音はこの、愛と、死に対する勝利についての、驚くべきメッセージを持っている。 

人は神のかたちに造られ、永遠に愛し合う関係にある。またイエスの復活の証明は難しいが、間もなく目の前で同じことが起こるのだ。もしイエスキリストをあなたが信じるなら、あなたもこの死から逃れることを見聞きし、天使や超自然の存在と話をするようになる。そして永遠のいのちを得るのだ。なぜか?それはあの方が殺されたから。私たちが永遠のいのちを得るのは、あの方が殺されたから。私たちが大勝利 を得るのは、あの方が苦しめられ、殺され、打ち負かされたからなのだ。イエスキリストの救いの中では、ハッピーエンディングは、おとぎ話ではないということ。福音こそが、私たちが人々に提供できる、最も 深い慰めなのだ。あなたが伝道者として入って行って、チャレンジする勇気が与えられたなら、最初にそれを経験した者として、パッションを持って、愛のドリルと発破で、大胆にこの「慰め」を伝えて行こう。 

「私たちは、自分のみたこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(使徒4:20)「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめとギリシア人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」(ローマ1:16)