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礼拝メッセージ

死で終わらない死
ヨハネ11:1-16

キルケゴールは、絶望こそが、人間にとって最も恐るべき「死に至る病」だと言いました。そしてこの絶望の出方には2種類あって、一つは自分の弱さにムカつきながら生きるという症状。もう一つが自分のやり方にこだわり、猛烈な自己主張に生きるという症状です。これらの「弱さの絶望」「強さの絶望」とは対極にあるのが「望みを抱いた正しい自己主張」、でもこれは自分が好きになって初めてできることなんです。 イエスが最も大切な戒めと言われたのが、神を愛し、自分を愛し、人を愛するという3つの愛でした。「自分を愛するように人を愛する」は、僕らの隣人に対してできるmax/maxで、もし自分を愛することに絶望している人が居るとしたら、その人からは「人を愛する」は出てこないのです。逆に神のみこころを知り、その中で自分自身であろうとすること・・・ここにすべてがかかっています。 ラザロはイエスの光の中でよみがえりました。そしてこのラザロをイエスは「わたしたちの友」と呼ばれました。それは「お前たちにもラザロはいるだろう、その友のためにいのちを捨てるなら、あなたがたはわたしの友だ」ということです。僕らが絶望しないで済むのはイエスが復活されたから。この希望に生きる時、僕らは自分と和解し、いのちに生かされ、来るべき死の門を、喜びを以てくぐることができるのです。