憤り、涙するイエス
ヨハネ11:28-36

僕たちには日々心騒ぐことが起こります。が、イエスが心を騒がされ、涙された。愛する者たちに死と絶望をもたらす、悪の源なる悪魔に対し、愛の憤りをもって挑み、勝利をされた。それがラザロ復活劇であり、そこから始まる十字架への道で …

よみがえりであるイエス
ヨハネ11:17-29

イエスの出発が遅れたため、到着した時にはラザロは死んで4日も経っていました。イエスがそこに居なかったためにラザロは死んだと思ったマルタは「あなたがおられたらラザロは死ななかっただろうに」と言いました。本当にそうでしょうか …

死で終わらない死
ヨハネ11:1-16

キルケゴールは、絶望こそが、人間にとって最も恐るべき「死に至る病」だと言いました。そしてこの絶望の出方には2種類あって、一つは自分の弱さにムカつきながら生きるという症状。もう一つが自分のやり方にこだわり、猛烈な自己主張に …

キリストの声を聞き分けよう
ヨハネ10:22-30

僕たちの人生には、あの事さえなかったらということがたくさんあります。失敗、挫折、そして人と比べてどう考えても自分に足りないもの、欠点、欠陥、適性不足・・・。神は愛、全知全能と言われても、自分に関してはそれが感じられず、「 …

イエスはよい羊飼い
ヨハネ10:7-21

「わたしは羊のためにいのちを捨てます」と言われたこのイエスのことばを、私たちはどれだけ自分へのことばとして受け取っているでしょう。私たちクリスチャンは、誰かのお世話をするとき、その人の中にイエスを見ます。これは素晴らしい …

だれの声を聞いていますか
ヨハネ10:1-9

イエスは門。この門を通らずに羊小屋に入る者はすべて、偽牧者であり、盗人だとイエスは言われます。羊に仕えるのが牧者であり、偽牧者は羊を食い物にし、最後は散らす者たちだと。ところで僕たちはどちらでしょう。真のサーバントリーダ …

私たちも主イエスを見る
ヨハネ9:35-41

盲人は礼拝堂を追い出された後イエスと出会い、最後は「主よ、あなたを信じます」と言ってイエスを礼拝します。この盲人は目が開かれてから、何もいいものは見て来ませんでした。見たのはせいぜい彼を取り囲む野次馬、言い逃れをする両親 …

ただ一つのことを知る
ヨハネ9:13-34

癒された盲人は、神学的な知識は何も持っておらず、イエスについて問い詰められても、知らぬことばかりでした。が、「ただ一つのことはわかっています。私は盲目であったのに、今は見えるということです」ときっぱり答えることができまし …

神のみ業が現れるため
ヨハネ9:1-12

僕たちは伝道するとき自分の導かれた道筋をイメージして伝道します。救いの証しもします。でもそれが伝わらないこともしばしば。それは皆さんが、「互いに人を自分より優れたものと思いなさい」(ピリピ2:3)とある通り、僕たちより優 …

永遠なる主イエスを見る
ヨハネ8:48-59

信仰とは、まず主が既に与えてくださっているものを喜ぶこと。そして次に、主がこれから為そうとしておられることによって喜んでいくことです。僕らはともすると、喜びを自分で作り上げようとします。バベルの塔のように自分の力と努力で …