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センターチャーチ

「都市に対するビジョン」について #2(本文 P146〜)

(3) 新約聖書の都市の定義

イスラエルは捕囚の間、国家や法治とは無関係な状態にあった。逆に異教の国家が持つ文化に抵抗する、いわゆる「反文化、カウンターカルチャー」的存在だった。これが新約聖書における教会の状況であり、それは多くの手紙が「離散している12の部族に」(ヤコブ1:1)、「離散し寄留している人たちに」(Iペテロ1:1) などと、デ ィアスポラの同胞に宛てて書かれていることからも分かる。

(3-1) 贖いと都市 

その共通している点が、「神の民の共同体こそがこの地上における神の国なのだ」ということ。彼らの忠実さの対象は「神に対して」であり、「神の国に対して」なのである。しかし地上の町をただ通り過ぎるのではなく、ユダヤ人の対バビロンと同じく、そこからの解放を待つだけでなくそこでの生活に十分にかかわり、そこで働き、 その町のために彼らは祈った。しかし同時に、そこの文化を採用、適用することはあっても、彼らが自らの神の民としてのアイデンティティーを失うことはなかった。神はユダヤ人に捕囚の中にあって、神の栄光のためにこの都市の中にあるテンションを受け入れ、喜んでこれに応じていくことを求めた。これはまさに、今のクリスチャンに神が求めておられることだ。 

在留異国人は、常に「称賛」と「誤解」の中に生活している。イエスは「キリスト者の『よいおこない』が偶像崇拝者に見えるようにせよ。しかし誤解や迫害は避けられない」と警告し、同じくペテロも、「キリスト者はよいおこないによって神が崇められるようにせよ。しかし同時に迫害も覚悟せよ」と言っている。このように旧新約の時代は互いに似た状況にあったが、同時にキリスト教徒の立場は、ユダヤ教徒の捕囚とは大きな違いがある。1つ目の「数を増やせ」という命令は、子供を作り家族が成長するように努めよという意味で、これは排他的だ。 が、キリスト者にとっての「増えろ」は、伝道と弟子化によるものである。ここに、旧約から新約への神の召しのパラダイムシフトを見る。旧約は「イスラエルがよい民となり外の民にそれを見せろ。異邦人はそれを見て中に入って来い。そして神を礼拝せよ」と招いており、求心的で、流れは中心に向かっている。しかし新約は遠心的だ。新約の神は民に「出て行って、世界中で福音を宣べ伝えよ。」と命令しているからだ。バビロン捕囚も、ヨナの宣教も、未来(新約時代)への橋渡しだったのだ。 

イエスは宣教的戦略として、取税人や罪びとたちと食事をした。この変化により、クリスチャンの異邦人世界 における行動は、バビロン時代のユダヤ人よりもっとフリーになった。が、これにより、同化や妥協の危険も大 きくなった。クリスチャンは、たとえノンクリスチャンも一般啓示を受けているとはいえ、やはりその文化の中では偶像や不正から身を遠ざける必要がある。捕囚後、ユダヤ人は再び国家に戻ったが、新約聖書はキリスト者をそのようには描いていない。彼らは今も天の下の諸国に散らされたままにあると描くのだ。従い、私たちの時代のとるべき行為は、アブラハム、モーセ、ヤコブの神の民の行為とは違い、捕囚の民として彼らが取った行為が手本となるなのだ。

考えよう⇒ユダヤ人は求心的排他的、クリスチャンは遠心的包括的と言う時、あなたはクリスチャン的ですか。 

(3-2) 初代教会と都心ミニストリー 

使徒17章は知性中心の町アテネにおいて、使徒18章は商都コリントにおいて、使徒19章は宗教都市エペソ、 そして「使徒の働き」の最後でパウロは軍事と政治の中心ローマに向かう。このようにパウロのターゲットは常に「中心」であり、移動は「都市から都市へ」だった。 エペソでの宣教は、都市宣教のパワーを明らかにした。「アポロがコリントに居たとき、パウロは内陸を通ってエペソに下り」(使徒19:1) とある。実際に都市はすべての道路の交差点であり、エペソを通らなければコリントからどこへも行くことができなかった。パウロはティラナスの講堂をレンタルし、そこで毎日語った。「講堂」は実質「学校」であり、毎日昼の休憩時間は空いていた。そこをパウロは使ったのだ。ここでは説教ではなく、対話、 議論をおこなった。そして質問や反論に対し「イエスは救い主」であることを論証していった。ゆえに「アジアに住む人々は皆、ユダヤ人もギリシア人も主の言葉を聞いた」(使徒19:10)。パウロの宣教はこのようにその地域の主要都市で行われたため、周辺地域を含むその土地の人々は、実質的に福音に触れる機会を得た。 

コロサイの手紙は「ラオデキア、ヒエラポリスの弟子たちによろしく」と締めくくっているが、パウロがこれらの周辺都市を訪問することはなかった。が、中心都市に宣べ伝えられた福音は周辺の地にも簡単に届くだろうという基本理解があった。ゆえに福音は常に放射状の中心に置かれ、拡散すべきエリアが広大であればあるほど、 他からよく見えるところ、見晴らし良く帝国内でも突出したところに放つ必要があるということになる。

考えよう⇒福音は放射線の中心に置くべきという基本概念が長く適用されてこなかった理由は何でしょうか。 

(4) 完成・都市を耕す

旧約の預言者は、初めから、贖われた世界を「都市」として描いている。また、黙示録21、22 章でも、神の創造と贖いの完了した結果として、壁があり、門があり、道がある「都市」がその到達点として描かれる。かつ、今の都市とは違い、田園都市だ。それも人の密度と自然の多様性、美、平和など、すべてにおいてバランスの良い都市なのだ。神の敵であったバビロンは消え、神の民は、平和と生産性の中で栄える (黙18 章)。この聖なる都は、水晶の川が流れ、ほとりにはいのちの木のフルーツが成り、その葉は人を呪いから癒した (黙22:1-3)。 これは創世記の園の風景と同じだ。真ん中に川があり、いのちの木があった (創2:8-10)。これが拡大され、神の庭園としてリメークされたのだ。これが信仰によって耕されたエデンの園、神のエデンの完成形、神の目的の実現なのである。創世記2章の「園」の意味は、場所ではなく、町や宮殿の中にある庭園のようなものである。 

なぜこれが大切なのか。もともと神の、アダムとエバに対する「地を治めよ」(創1:28) は、文化命令と言われるが、これは、我々の仕事を取り上げることで、神のこの世における働きをイメージ化するためのものだ。これは、文化を耕し、神を崇める文明を築くための命令だ。ガーデニング(これが人の職業の元だが)は、文化を発展させるための方法論だ。ガーデナーは、園をそのままに放っておくということはしないし、壊すこともしない。 逆にもう一度園を作り直して、果物や、人が生きるための作物を作る。つまり「耕す≒文化」なのだ。すべての職業は、エデンでの耕作に端を発して語ることができる。例えば芸術家は、五感と人間経験という原材料を用いて、音楽や、目に見えるメディアを作る。例えば小説、絵、ダンス、建築、演劇などだ。同様に技術者も建築家も、物理的な世界を原材料に、人の世界の生産性を上げ、発展をもたらす。このように「文化を築け」と命令され、都市に文化をもたらすことがその中心になったことから、この文化命令を遂行するためには、都市の建設がその重要ポイントとなると考える。 

町、文化、そして人類への発展を互いに結びつける第一の理由が、カインが町を作った事 (創4:17) にある。 町ができてすぐに、我々は芸術、農業、技術の発展を見る。これぞ神の命令である、人の文化の創造性のスタートした時だった。カインの目的は「反抗」であったが、それ自体は良かった。都市のテンションは、最初の段階から存在していたことが分かる。 

文化命令に関し、我々は神のデザインに沿って従うことには失敗したが、都市建設との関連において、人間の町と神の町が発展していくことは重要であり、それらが黙示録の最後で筋書きが一本化し解決を迎えるのである。 最初のアダムは、神の命令に信仰的に従い損ねたが、2人目のアダム(イエスキリスト)は、この第一のアダムの受けた命令を完成させるのだ。キリストは人を救い、地を治め、父に栄光を帰すように文明をもたらすのである (Iコリント15:22-25)。聖書が、第二のアダムの、我々のための仕事の最終ゴールは都市だと言っているので、 これは神が最初に、文化命令をアダムに発せられたときの考えなのだとわかる。神はアダムとエバに、園の範囲 を広げるように命じ、最終的には神の意志が成り、イエスが我々の為に、文化命令を成し遂げられたとき、エデ ンの園が田園都市になるのである。 多くのクリスチャンは、再びエデンの園のようなところに、最終的には至ると思っている。が、この前提に立つと、キリスト者の働きは、伝道と弟子化を排他的に行うことになる。しかし、黙示録はそうではないと言う。神の意志は、人が頑張って、文明を、都市をつくり、それも神に栄誉を帰しつつ、神が作りこの世に置かれた、永遠の不思議さと豊かさを管理することとなった。文化命令は、まさに都市命令と言い換えることができる。 

都市は、本来的に、積極的な社会形態である、色とりどりの過去と、美しい未来がつながっている。贖いの歴史を展開するにつれて、神の人々が、都市の外へ、まるでさまよい人や放浪者のように、また都市の反逆者(バベルの塔)のようになったのだ。そこで神は、彼らを、都市をつくる人、都市を再建する人(エルサレム)、都市を愛する捕囚の民(バビロン)とした。新約時代には町の人々に対する宣教師となった(実際新約の記者たちは、田舎のことについてほとんど記述をしていない)。最終的に、神の未来が都市のかたちを取った時、神の民は、本当の意味で、家に帰り、落ち着くことができるようになったのだ。都市の堕落した性質(これは潜在的な罪の力を包むという役目を果たしているが)は、最終的に解決される。文化命令は完成し、都市生活の能力は、神に仕えるために解放される。すべての神の民は、聖なる都市で、神に仕えるのである。

考えよう⇒エデンの園からエデンの園へという発想では、伝道方法が排他的になってしまう理由なんでしょう。 

(5) 都市への招き

(5-1) 新約時代

パウロをはじめとするキリスト者たちは、みな町の中心へと向かった。それはキリスト信仰が交通の要衝に植えられさえすれば、その後は時間とともに広がるからだ。都市は多民族であり、国際性においてもすぐれていたため、改宗者は自国にその信仰を持ち帰った。また政治、法律、芸術などがみな都市に集中したため、最終的な文化への影響も、都市で宣教するかぎり与えやすかった。

(5-2) 現代の都市での宣教のチャレンジ

リディーマー教会の例。ティムケラーは、ニューヨーク、マンハッタンに教会を作った。3年でニュージャージと、ウエストチェスター(ともにベッドタウン)に姉妹教会を作った。もし郊外に最初の教会を作っていたら、これほど短時間にマンハッタンに複数教会を持つことがはできなかっただろう。なぜか。都市から郊外へは可能だが、郊外から都市へは不可能なのだ。都市は心臓だ。すべてを吸い込み、又吐き出す。学生は都市に学びに来て、卒業するとそこから出て行く。独身者は都市で出会い、結婚し、子供ができると郊外に連れて行く。諸民族は、都市に移民し、民族の飛び地で生活し、しかし、資産を持ち、地位を得ると、自分を育ててくれた家族に会う場所を確保するために、郊外に出て行くのだ。どのケースも中心から外へだ。その結果、都市で成長した教会は、共同体を形成するが、その共同体は、隣接する地域を通して、他の大都市へと自然と広がっていくのだ。

考えよう⇒都市から郊外へ、自国へという流れは、教会員が減る面では「マイナス要素」でもあると考えますか。